国立大学を卒業し、作業療法士として病院に就職。その後三度の転職を行い、現在は総合病院にて作業療法士として勤務しつつ、ブログや弾き語り配信を通して副業も行っています。
趣味のギターは楽しく続けています。
僕の弾き語りを聴いてくださる方が予想以上にたくさんいらっしゃり、とても嬉しいです。
質問を頂きました。
学生の頃は必死に勉強していましたが、社会人になってからはあまり勉強はしなくなってきました。
いつも疑問に思っていたのですが、私たちはそもそも勉強をする必要があるのでしょうか?
学生で辛い思いをして勉強したのも関わらず、社会に出てもまた勉強の繰り返しの日々では気が滅入ってしまいます。
kazuさんが思う勉強をすることの意義について教えてください。
僕は社会人になっても勉強を続けています。
しかも楽しく勉強を続けることができています。
それは勉強の「ある意識」を変えたことが最大の要因です。
“信用”と“自由”を作るために勉強する
結論から言うと、僕が勉強するのは
信用と自由を作るため
だと感じています。
今社会人になって何年か経ちましたが、この二つは社会で生きていく中で本当に重要なものであると感じています。
それが勉強して少しずつ手に入るものだと感じています。
僕はかつて学生だった頃はテストで満点近い点数を取るため、高い偏差値を取るため、いい高校・いい大学に入るために勉強していました。
なので勉強することは我慢や忍耐をすることのように思えて、正直あまり好きではありませんでした。
しかも学生の時に覚えた知識は社会では役に立たないことばっかり。
学校の偏差値なんてものも会社では全く役に立ちません。
社会人になった今では楽しく勉強を継続できています。
なぜなら社会人になって勉強する意義が大きく変わったからです。
かつての自分は勉強するのは高い点数を取るためだと考えておりました。
僕は大人になった今
勉強することで人の役に立てる、自由を作ることができる
と思っています。
正直この考えに至るまでは時間がかかりました。
これから僕が勉強していく意義について解説していきます。
勉強で得た知識は他者からの信用を作る
勉強すれば、知識が得られます。
知識があれば使い方次第で、人の役に立つことができます。
人の役に立つことが出来れば信用を得られます。
例えば自分が未知の病気になってしまったとします。
聞いたこともない病気にかかって自分は困っている。
そうなれば、その病気のことや、それを治す方法まで知りたいと思うはずです。
その病気に関する知識を持っている人がいれば、話を聞きにいきたいと思うはず。
そこで納得できるような答えを得ることができれば、今後その人をまた頼りたいと思うでしょう。
つまりその人を信用すると思います。
このように知識があれば他者を助けることができるし、信用をつくることができます。
社会に出れば信用を作ることができる人には人が集まり、逆に信用を失う人には人が離れていきます。
社会でうまく生きていく為にはこの信用が必要不可欠であると感じています。
例えば、会社との雇用契約や給料、顧客からのサービス購入や他社との契約などは全て信用のもとに成り立っています。
信用がないと、必要な契約が得られず、お金も得られない為、やがて生活が苦しくなって社会的に淘汰されます。
信用があれば、自分の周りに人が集まり、困った時に援助を受けることができます。
つまり社会でうまく生きることができるのです。
知識は自分の身を守り、自由を作る
勉強をすることで様々な選択肢を得ることができる、つまり自由を作ることができると感じています。
勉強を繰り返すことによって正しい情報と間違っている情報を取捨選択できるようになります。
つまり不必要な情報に騙されにくくなります。
勉強しなければ、この日本で生きていくのに損をしてしまうことばかりです。
税金や保険、ローン、法律や社会保障制度など…
どれも頭のいい人が勝手に作ったルールばかり。
そして知っている人だけが得をするように作られています。
知らなければ不必要にお金を取られたり、自分の大切な時間を奪われてしまう。
例えば税金
本業で普通に働いていると所得税、住民税、社会保険料等が徴収され、およそ所得の4分の1が税金として天引きされます。
1年の内に3か月は国の為にタダで働いていることになります。
しかし本業に加えて副業を始めていると、副業の課税所得に経費と青色申告特別控除による控除が受けられ、さらに社会保険料もかからないというオマケ付きです。
ここでさらにふるさと納税を収めていると翌年の納税額を節税できます。
これらは学校では習ってないことばかりだと思います。僕も習いませんでした。
しかし今の世の中、こうした情報は全て市販の本で手に入れられ、YouTubeを見れば無料で閲覧することができます。
知っているだけで得をする、こういうルールの中で僕たちは生きています。
反対に勉強しなければ、こうした得をするような情報を得られないばかりではなく、嘘で塗り固められた情報に騙されてしまいます。
例えば保険。
民間保険では、生命保険がん保険、車の車両保険なども含まれます。
しかし会社員であれば、健康保険や雇用保険等の皆保険が整備されており、病気で入院となってしまっても高額医療制度や傷病手当金など、手厚い保障が存在しています。
つまりテレビのCMで流れてくるような民間保険のほとんどは不要な保険なのです。
(ちなみにこの情報は以下の本で手に入れることができました)
不要な保険に加入してしまうことは、お金を不必要に流してしまうことになります。
逆に勉強して知識をつけることができれば、こうした事態を事前に防ぐことができます。
不必要な情報にお金と時間を持っていかれることがなく、本当に必要な時に使うことができます。
つまり行動の選択肢を持てる=自由を作ることができる、ということになります。
まとめ:間違った知識の使い方をしないように
以上、勉強をする意義として
- 勉強で得た知識は他者からの信頼を作る
- 知識は自分の身を守り、自由を作る
を解説しました。
少々堅苦しい内容になりました。
勉強して知識を得ることの重要性を説きましたが
時折、自分が他人より知識があることを理由にマウンティングをしてくる人がいます。
自分が正しい知識を持っているが故に、相手の行動を操作しようとしたり、相手を論破しようとしたり
こうした行動は間違った知識の使い方をしていると思います。
なぜなら逆に信用を失うからです。
知識を振りかざして、相手をマウントしたり、相手をコントロールしようとすることは、そもそも勉強をする意義に反する行為であると思います。
一度信用を失ってしまえば、再び信用を取り戻すことはより時間がかかります。
知識を持っているが故に社会的に孤立してしまっては元も子もありません。
僕はむしろ知識がある人こそ、自分が「知らない」ことを知っている謙虚な姿勢を持っていると思います。
これは哲学者のソクテラスも言っていました。
ソクラテスは、自分だけが「自分は何も知らない」ということを自覚しており、その自覚のために他の無自覚な人々に比べて優れているのだと考えたとされる。
知識がある人は自分には知らないことがあると自覚しています。
そして知識がある人こそ、人の話を聞こうとする姿勢があると思います。
少なくとも僕は勉強すればするほど、自分には知らないことが山ほどあるということを痛感しました。
学生時代は決まった科目を、決まった時間に、決まった範囲を勉強させられます。
しかし社会人になったら好きな科目を、好きな時間に、好きな範囲で自分のペースで勉強できるのです。
これからは高い点数や偏差値を取るために勉強するのではなく、他者に役に役に立つため、自由を作るために勉強するのだと思うと、これからも勉強することにワクワクしています。