これは”【適応障害】になって見えた世界”というタイトルにて、かつて僕が適応障害になって経験したことを中心にお話しています。
※前回の続きです。

※最初の記事はこちらです。

上司に退職の意向を伝えると、僕はもう一度上司と面談を行い、退職届を提出しました。
退職届を提出した面談は不思議と重苦しい雰囲気ではなく、むしろ上司には笑顔がありました。
上司は僕に言ってくれました。
「しんどくなければでいいんだけど、職場のみんながkazu先生に会いたがってて。
よければ一緒に会いに行かない?」
僕は少しドキッとしました。
今更職場の方々に何て顔をして会いに行けばいい…?
それでも職場の人と会えるのはこれで最後になるかもしれない…
少し悩みましたが、僕は会いに行くことに決めました。
上司と一緒にオフィスの入り口を入り、リハビリ室までの道を歩いていくと、次第に吐きそうになるくらいに緊張が高まりました。
(みんなほんとに僕と会いたがっているのだろうか…)
内心は不安と緊張でいっぱいでした。
そして上司と一緒にリハビリ室に入りました。
「kazu先生!!」
「kazu先輩じゃないっすか!」
「おお元気そうじゃないか。よかった。」
職場の人は僕に力強く声をかけてくれました。
(え…)
(急に職場を離れてあんなに迷惑をかけたのに…)
僕の心配は良い意味で裏切られました。
かつて同じ職場で働いていた人たちは、もう同じユニフォームを着ることがなくなった僕に温かく声をかけてくれました。
体調は少しずつ良くなっていること、そして退職届を提出したことを伝えました。
「心配するな。kazu先生が持ってた患者様はあれから元気になって退院して行ったよ。」
「もちろん退職は残念だけど、私にとっては、kazu先生が元気な顔を見れたことがよかった。」
「元気出してくださいね。」
この人たちは、やっぱりいい人たちだった…
この時は少しだけ退職届を提出したことを後悔しました。
最後に上司は力強く僕の肩を支えて
「またどこかで会えたら、元気な姿を見せてね。」
と言っていただきました。
こうして僕は現職を退職する運びとなりました。
退職後、僕は通院をしながら、再び再就職に向けて就職活動を行っていきました。
朝起きたらすぐに散歩に出かけ、昼になったら就職活動、夕方になったら買い物に出かけて実家の両親に料理を振舞う。
休日になったら、ジムに出かけて筋トレして、定期的に運動を行いました。
そんな毎日を送っているうちに症状は徐々に良くなり、結果的に通院も服薬も必要なくなるくらいに回復しました。
夜もぐっすり眠れるようになりました。
そして就職。
就職活動に関しては様々に挫折したくなるような経緯がありました。
転職エージェントに、過去に適応障害になったことを伝えるとそれから一切連絡が来なくなりました。
(電話をかけても着信拒否されました)
それでもあきらめず、気になった案件に応募していった結果、今働いている職場から直接スカウトを受け、内定を取ることができました。
そして今、元気に作業療法士として働いており、忙しくも患者様の為にリハビリテーションを提供しています。
家に帰ったら好きな音楽を楽しみ、副業にも取り組んで経済的に安定しています。
僕は無事、適応障害を克服し、自分の生活を取り戻すことができました。
以上で”【適応障害】になって見えた世界”は終了となります。
1から5まで見てくださった方、ありがとうございました。
今振り返ってみても、この適応障害という病気は正直めちゃくちゃ苦しかったです。
二度と経験したくないくらい苦しかったです。
一度転職エージェントから一時だけ転職サポートをしていただいた際、担当者から
「適応障害ですよね。企業側はそこまで重い病気だと思われないから大丈夫ですよ。」
と言われたときもありました。
しかし僕はそんな生半可なものではないと思っています。
何が苦しいかというと、まず休めません。
じっとしていても何もしていない自分に焦りと罪悪感を感じ、夜になって寝ようと思っていてもますます焦りが強くなってしまう為、朝まで眠れなくなってしまいます。
そして夕方に起きてしまい、ますます自分の存在に罪悪感を感じてしまう…
そんな病気です。
しかし今この病気を経験して思うようになったことは
今、当たり前のように心身共に健康でいられることのありがたさ、そして周りの人が自分と関わってくれることありがたさです。
以前の記事でお話しましたが、他人との別れは必ず訪れることであり、それは突然訪れることもあるということです。

かつて健康だった自分と急にお別れしてしまうこともあるということです。
自分が健康ではなくなったときに思ったことは
「こんなにも急に自分が健康じゃなくなる日が来るなんて…」
と痛感しました。
今は心身ともに健康な状態で勤務もできています。
そして、今こうして当たり前の様に食事をして、働くことができて、そして疲れて、決まった時間に寝ることができて、とても幸せに感じています。
健康じゃなかったかつての自分は、こうした当たり前のようなこともできていなかった訳ですから。
平日は働いて、休日はジムで運動したら気持ちよく汗をかいて、そしてご飯が美味しく感じて、眠くなって寝られる。
自分と関わってくれる両親がいる、兄弟がいる、友人がいる。
僕の音楽を聴いてくれる人がいる。
僕の仕事を受け入れてくれる人がいる。
そんな当たり前の日常がとても嬉しく感じるようになりました。
実は「適応障害」という病気には、ある意味感謝をしている部分もあります。
もう2度と同じ苦しみを経験したくはないし、他の人も経験してほしくはないと思っているのも事実です。
しかし、この病気のおかげで見えてきた世界もありました。
適応障害という病気を経験して、改めて周りの人の存在、そして自分という存在にありがたさを体感したと思います。
当たり前なようで当たり前ではない存在にありがたさを感じています。
そしてこんな経験をしましたが、僕はかつての職場も、一緒に働いていたスタッフも、全く嫌っていません。
むしろ短い間だったものの、僕と関わってくれたことに対して感謝しているくらいです。
たしかに業務は非常に大変だったものの、あの職場でしか学べなかった経験もありました。
何より心からすごいと思えるような人たちと一緒に仕事ができたという経験が嬉しかったのです。
そしてこれからこの人たちに恩返ししたいと思っています。
この人たちへの最大の恩返しは自分が成長した姿を見せること。
だからこうして作業療法士として働きながらブログと弾き語りを運営しています。
適応障害になって見えた世界は、ささいなことにも感謝できる暖かな世界でした。
おわり