生活の支援

”期待”を捨てることで心にゆとりが持てた話

“期待”という言葉

皆さまはどのようなイメージがありますか?

親や先輩から期待されると嬉しいでしょうか?

一般的には期待という言葉には良いイメージがあるかもしれません。

 

 

しかし僕は”期待”という言葉にあまり良いイメージを持っていません。

理由としては、期待をすればささいなことに感謝できなくなるからです。

期待をすると些細なことに「ありがとう」と思えなくなるからです。

 

 

昔、僕が学生だった頃

部活で一緒だった同級生に対し

「なんで練習してこないんだ。」「なんでもっと勉強してこないんだ。」

とイライラしていた自分がいました。

しかしそれは練習してこない同級生が悪いのではなく

自分が勝手に同級生に期待をしすぎていた

からだと感じています。

 

よく仕事でも

「仕事が終わったら、ちゃんと私に報告して!」

と後輩に強い口調で言っている先輩を見かけますが

それは先輩の方が、後輩の行動を勝手に期待しているのではないのか?

と感じるのです。

自分が相手の行動を期待しても、その相手がどのように行動するかは完全に相手の自由。

期待通りに動いてくれなかったとしても、本来なら相手を責めることはできないはずです。

だって僕たちは他者の期待を満たすために生きているのではないのだから。

我々は「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。

出典:嫌われる勇気 自己啓発の源流 アドラーの教え 岸見一郎/古賀史健

 

だから僕は良い意味で「期待をしない」ようにしています。

 

そうすると

一緒に働いている人から挨拶されたり

清掃員の方が職場を掃除してくれたり

コンビニの店員が弁当を温めてくれたり

こうした些細な行動に自然と感謝の思いが湧き上がるようになります。

仮に自分の後輩が報告するタイミングが遅くなったとしても

自分にわざわざ報告してくれたことに対して感謝できると思うのです。

 

周りにはいっぱいの「ありがとう」があることがわかります。

仕事の悩みも次第に消えていきます。

何より相手の行動に対してイライラすることが一気に減ります。

イライラすることも無くなれば、相手に「ありがとう。」「お疲れ様。」ということで、相手も喜ぶ。

 

良い意味で「期待をしない」

自分も相手も良い気持ちにできる考え方だと感じています。

 

期待をしないにしても、完全に無関心でいることとは違います。

良い意味で期待をしないというのは

あくまで相手に関心を寄せつつ、相手のささいな行動や気遣いに感謝する。

困ったらいつでも手助けができるくらいの距離間で接する。

ということだと思います。

kazu

生活に「ありがとう」でいっぱいにすること、これこそが充実して生きるためのポイントだと感じています。