こんばんは。kazuです。
今日も皆様お疲れさまです。
今まで急性期から維持期までお話させていただきました。
今日は自分の経験してきた範囲で、終末期リハビリについてお話しようと思います。
終末期リハビリで経験した世界

僕が作業療法士2年目の頃に地域包括ケア病棟で、3年目の頃に大学病院で、終末期の患者様を数多く担当しました。
また大学時代に論文指導していただいた先生が終末期の作業療法に関する研究を先駆的に行っているところも影響して、終末期リハビリには興味を持って行っていました。
担当した終末期患者様の多くはがん等の難病を罹患されている方でしたが
他にもアルツハイマー型認知症末期の方や
末期心不全や末期の呼吸器疾患を持たれた方
多発性脳梗塞を何度も再発した方
も終末期で担当しました。
機能回復の考え方は通用しない終末期
終末期は、急性期や回復期で展開される機能回復の考え方が全く通用しない世界でした。
ほとんどの患者様はアルブミン低値で栄養状態が著しく悪化している方や
安静時より血中酸素濃度が低値で容易に低酸素状態を引き起こしてしまう方
脳委縮が著明で意思疎通も不可能となった方
そもそも癌性の全身疼痛で起きることもできない方など
機能回復を図ろうにも現実的には不可能で、そればかりか機能低下が避けられず、ADL低下→QOL低下を並行して引き起こしてしまうような状況に多く直面しました。
しかし重度の疾患を持たれている方でも、ひとりの「人」であることには変わりはありません。
どんな方でも最後まで尊厳を持って生きる権利を持って生きている
そのことを思いながら終末期リハビリに臨んでいました。
人生の最後まで自分らしく…
終末期では「人生の最後まで自分らしく生きる為のサポート」を念頭に、クライエントのQOL改善に必要なことをとにかく考えていました。
終末期リハビリテーションの定義について、ある文献からこのような言葉があります。
「終末期リハビリに機能回復を目的としたリハ介入はありえない。
なぜなら、原疾患の進行により機能低下が避けられないからである。
しかし人は必ず人生の終末を迎える。その際、実現不可能となるADL向上を目的とせず
患者の機能実現を目指すQOL改善の手段としてリハをおこなうことは可能である。」
出典:終末期リハビリテーションの臨床アプローチ/編集 安部能成より
終末期リハビリに求められるのは
患者様およびご家族様が何をもってQOLが改善したと思っていただけるのかを把握し、そのクライエントのQOL向上に向けて取り組むことが必要であると考えます。
終末期こそQOLを考えられる作業療法士は必要とされる
僕自身はこの「機能回復を目的としないQOLの改善」という考え方が、まさしく作業療法士の専門性が特に活きるような分野なのではないかと思いました。
作業療法士は「人」「環境」「作業」の相互関係から「作業遂行=生活行為」を支援し、クライエントの生活を支援します。
そして作業療法士は、クライエントの「その人らしい生活」を多角的に捉える専門能力を持っています。
機能低下・ADL低下が避けられないものの、QOL改善が求められる終末期には、QOL改善を考えられる作業療法士の専門性が特に必要とされるのではないかと感じています。
僕がやってきた具体的なアプローチでいえば
- 目を覚まさなくなった患者様に対し、少しでも身の整った状態で、ご家族との面会時間を持ってもらう為、乱れた髪を櫛で整髪したり、着ている服を整えたり
- 病室内でご家族と一緒に創作活動を行って、少しでもご家族とのかけがえのない時間を過ごすようにしたり
- 主治医の相談のもと、お酒が大好きだった患者様に日本酒を含ませたスポンジブラシを口内に当て、かつての日本酒の味を喜んでもらえる時間を作ったり
- いよいよ死を迎える間際で不安の強い患者様に対し、優しく手を握って「いつもありがとうございます。また会いに来ますからね。」と耳元で声をかけたり
限られた余生を最後まで患者様が自分らしく生きるために、ほんの少しでもできることはないかと考えながら作業療法を行っていました。
大学病院勤務時代での1事例について
また大学病院である患者様を担当しました。
既往に基底核変性症があり、体力低下でADLに介助が必要な上、ステージⅣの末期の膵臓癌を発症した方でした。
主治医から、余命1か月の宣告をなされ、緩和的医療を選択された女性のAさんでした。
Aさんとご主人、娘様は
「最後に家族みんなで北海道に旅行に行きたい。」
との希望がありました。
Aさんは認知機能はしっかりされており、自分の余命のことも、自分の状態のことも十分に理解されていました。
ご家族様もそれをわかっている上での「旅行に行きたい。」との希望でしたので、このAさんとご家族にとっての「家族で旅行に行く。」という作業は、本当に重要でどうしても叶えたいものなのだと感じました。
MTDLPを用いてアプローチを展開した実例
僕はMTDLP(生活行為向上マネジメント)を用いて、Aさんの心身機能・生活機能を評価した上で、Aさんとご家族の旅行に行くことに対する重要度を聴取し、それをPT、Ns、主治医に報告するようにしました。
その結果、主治医が特に協力的に動いていただいたおかげで、旅行先で急変があっても対応できるように、旅行先の近くにある病院へいつでも医療相談が受けられるように手配してくれました。
旅行の過程で、Aさんとご主人お互いが負担がないような、トイレや車椅子への移乗、着替えなどのADL介助方法をAさんとご主人に伝えました。
またPT(理学療法士)と相談しつつ、旅行の移動時間に耐えられるように車椅子の選定や、シーティングなども行い、Aさんに出来る限りの環境設定を行いました。
悪性腫瘍による日内の痛みのタイミングも評価し、鎮痛剤を使用するタイミングをNs(看護師)と共に考えて、ご家族に伝えました。
以上のことをサマリーと生活行為申し送り表に記載して、旅行先の病院と、ケアマネージャーに提出しました。
結果、Aさんは無事にご家族と一緒に旅行へ行くことができました。
旅行中は幸いにもAさんの急変はなく、Aさんとご家族は北海道旅行を無事楽しめた土産話と、北海道のお土産を僕にわざわざ渡してくれました。
Aさんはその1週間後に亡くなりました。
しかしAさんのご主人は、Aさんの病室内の荷物整理をしている中、作業療法室にいる僕の所へわざわざ来てくれて、僕と握手してくれました。
「ほんとうにありがとうございました。kazuさんとのリハビリは本当に良かったです。」
そう言って、笑顔で病院を出ていきました。
僕のしたことはほんの小さな支えにすぎません。でもそんな小さな支えでもお礼を伝えていただけて、あの時は本当に嬉しかった瞬間でした。
まとめ:終末期について考える
終末期リハビリは特に患者様の「人生」というテーマを何度も考えます。
人生を考える以上、医学的な知識だけでなく、哲学的な考えも必要であるかのように感じます。
終末期リハビリで少しはうまくいったかなと思えるような事例はほんの少しであり、逆にうまくいかなかった事例の方がたくさん経験しました。
上記のAさんのようにはいかず、最後まで自分らしく生きることができず、ずっとベッドの上で苦しみながら死を迎えた担当患者様も何人も経験しました。
そのたびに、自分の無力さを痛感しましたが、終末期リハビリには、それだけ奥が深く
難しいものではあるものの、作業療法士として必要とされている領域であると感じます。
大事な人を大事に思える終末期の考え方
そして終末期リハビリでの考え方は、いつか自分の大事な家族に対しても役に立つのではないかと考えています。
あまり考えたくはないことですが
人は誰でも必ず死を迎える以上、いつか自分の大事な家族にもそういう時が来ることは避けられないことだと思います。
それは大好きな祖父母でも、大事な両親でも、もしかしたら兄弟や友人、自分の持つ家族でもそう。
自分にとって大事な人が、人生という終末を迎えようとしている。
そしてそのタイミングはいつ訪れるかわからない。
もしかしたら明日急に訪れるかもしれない。
その時に自分はどう振舞うのか、自分にとって大事な人の為に何ができるのか、何を考えることができるのか。
終末期リハビリには、このような難しいテーマにもヒントを与えてくれるような気がします。
いかがでしたでしょうか。
同じく終末期での作業療法を展開している方、終末期リハビリで少しでもうまくいったと感じた事例がある方、終末期リハビリで共感できたところなどがあれば、コメントでもいいのでぜひ教えてくださいね。