今日は題名の通り
自分の過去の苦しんだ経験
についてお話させていただこうと思います。
実はこのことについて投稿するべきかどうか非常に迷ったのですが
この病気を通して新しく見えてきた世界もあったのも事実。
同時に僕の周りにも、自分の正義感と闘いながら
時には身を削ってでさえも頑張りすぎてしまって
心身共にボロボロになってしまう人がいます。
もしかつての僕と同じように苦しんでいる方がいらっしゃれば
自分の経験がこれからの生き方のヒントになり
ほんの少しでも手助けになるのではないかと思い投稿に至りました。
僕は2018年の秋に
「適応障害」というメンタルの病気を発症しました。
適応障害とは、ストレスが原因で引き起こされる感情や行動の症状によって、仕事や学業などの社会的機能が大きく阻害されたり困難になっている状態。
出典:ドクターズファイル
僕の場合は、以前働いていた職場で
勤務していた時のストレスが積み重なった結果として
この病気になりました。
今回は僕が
適応障害になった経緯を全てお話させていただきます。
多忙な大学病院勤務の時代

当時の僕は大学病院で勤務していました。
大学病院に入職する前は
数々の患者様に役に立って多くの人に感謝されている
キラキラした自分を想像していました。
難しい疾患を持った方々にも最後まで責任を持って
生きる希望を持ってもらえるような作業療法を提供したい。
そんな思いで厳しい選考も突破し、入職を果たしました。
しかし現実は甘くはありませんでした。
職場の周りには修士・博士号持ちで
全国的にも名の知れた名セラピストばかり。
職場は根強い上下関係があり、研修生で学士しか持っていない自分は
上層部の人に話しかけても聞く耳を持ってくれないか
「忙しいのに話しかけてくるな!」
と強く反発されるかでした。
また想像以上に多大な激務にも追われていました。
昼休憩の時間は全て食事をしながらのカンファレンス参加に当てられたため
リラックスできる時間はありませんでした。
また業務が夕方に終わっても
その後食事をしながらの論文抄録やセミナーに参加する必要があった為
帰宅時間が23時~24時になることが日常茶飯事。
それ以上に特に苦しかったのは
担当した患者様が亡くなる場面を何度も経験したことです。
病院内でまるで当たり前かのように
患者様が亡くなる状況に日々ショックを受けており
心は次第に疲弊していってました。
こんな現実に泣き崩れる暇もなく、次から次へと担当が振られる毎日でした。
そしてある日
研修生の課題である部門内での症例発表の日が近づいていきました。
ただでさえ業務が多忙であった中での発表であった為
職場で書類作成に回せる時間などはなく
当然ながら自宅に持ち帰って仕事をしていました。
平日の睡眠時間を削りながら休日もほぼ全ての時間を資料作成にまわし
入念に準備をして発表を行いました。
しかし周りからは批判の嵐。
「資料の経過がわかりにくい。」
「ちゃんとPT(理学療法士)と連携はしたのか?」
「他のADL(日常生活動作)も支援できなかったのか?」
「この介入が有効だったという根拠はあるのか?」
そんな厳しい意見ばかりでした。
とどめの一発が発表のフィードバックを受けた直属の上司から
「あなたの仕事は作業化しているよ!」
当時はもはや言われている言葉の意味が
理解できませんでしたが、今思えばこの言葉は
「こんな流れでなんとなく仕事をするな!もっと考えて仕事をしなさい!」
という意味だったと思います。
しかしこの言葉を受けた時、僕の中で何かが切れるような音がしました。
長い糸がプツンと切れたかのように。
これは本当に音が聞こえました。
その翌日の朝、僕はベッドから起き上がることができず
何とか起き上がったものの身体は鉛のように重く
今にも倒れそうな状態でした。
職場に着いたものの吐き気と動悸が止まらず
上司に報告して仕事を早退しました。
そして近くの心療内科に受診後
「適応障害」
との診断を受けました。
続く…
