【適応障害】になって見えた世界 その2

僕は適応障害の診断を受けました。

その時、自分は

あぁついに病気になってしまった。

ついに自分は病気持ちの患者側になったんだ。

という落胆した気持ちに襲われました。

けどこのまま働いてしまっては

担当している患者様に迷惑をかけてしまうところだった。

健康を支える作業療法士自身が

健康的な生活が送れていないなんて、作業療法士として失格だ。

自責の念に駆られながら、診断書を貰い、病院を後にしました。

帰宅後、診断を受けた経緯を直属の上司に電話越しで報告しました。

上司は驚いた口調で、僕の身体を気遣ってくれました。

「今の仕事は他の人が受け継ぐから、ゆっくりと治してほしい。

そしてまた今後について話そう。」

上司はそう言ってくれました。

その後僕は診断書を職場に提出した後

休職の届け出を行い、実家に帰って自宅療養をしました。

目次

本当に苦しかった自宅療養の日々…

しかし自宅療養はこれ以上ないくらい苦しい日々でした。

一時は職場の多大なプレッシャーから解放されて安堵していたものの

ベッドの横になって休んでも、夜も眠れない。

食事も美味しく感じない。

好きだったことも楽しく思えない。

テレビも見たいとも思わない。

そして飲んでいた薬の副作用で毎日倦怠感と闘っていました。

ついに当たり前の日常でさえも

楽しいと感じることができなくなってしまったのかと日々絶望していました。

特に一番つらかったのは

自分一人が世間から置いて行かれているような感覚に襲われたことです。

周りの友達や親族は仕事をして、家庭も持って

それぞれの人生の課題を持って前を歩いている。

それなのに自分は仕事もせず

周りの人に迷惑をかけながら、立ち止まっている。

20後半にもなった大人が社会に何も貢献しておらず

ただ実家で食べて寝るだけの生活をしている。

役立たずな自分に日々焦燥感と自責の念に襲われていました。

何の役にも立たない自分なんて、いなくなってもいいんじゃないか。

そうだろう、自分はきっといらないだろう。

こんなにつらい毎日ならいっそのこともう命ごと投げ出してしまいたい。

どうやったら楽に死ぬことができるのだろうか。

天井を眺めつつ、そんな思いにもなった日もありました。

はたして職場で働いている時と自宅で療養している時と

どっちが楽なのかが分からないくらい苦しい日常を過ごしていました。

そしてこんな自分に家族はいつも通りに接してくれました。

自分がかつて実家で暮らしていた学生時代と同じように

いつも通り他愛のない会話をし

いつも通りに食事を作ってくれ

いつも通りに夕食を一緒に食べてくれました。

決して精神疾患を持った患者としての自分ではない

ただありのままの自分として接してくれました。

夜になると僕は好きな音楽を聴きました。

現実と未来に向き合わせてくれる家族、苦しみに向き合わせてくれる音楽

僕は先の見えないほど真っ暗だった気持ちから

少しずつ光が差していくような気持ちへとなっていきました。

そんな中、ある日職場の直属の上司から連絡が入りました。

続く…

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