「たったいま」から生と死を捉える

僕はとある小説を読んでいました。

夢をかなえるゾウ4 ガネーシャと死神

という本です。

「夢をかなえるゾウ」シリーズは

自己啓発の人気書籍として名がある名著です。

その中でも、この小説には

「死」というテーマ

を取り扱っていました。

主人公の前にふと現れた

「夢をかなえるゾウ」であるガネーシャは

人は死と向き合った時

どのように考え、どのように行動すべきなのか

一緒に寄り添いながら話していました。

そこにはとても感銘を受けた内容があったんですね。

今日はこの本を読んで

率直に感じたことをお話しさせていただきます。

目次

忘れがちな「死」の存在

人は誰もが平等に死という終末を迎えます。

今を生きている人の全員は

死という目的地に向かって歩いています。

しかし日頃から終わりを意識して生活している人って

僕も含め、あまり多くないと思うんです。

というものの

「人が生きていること」があまりにも身近すぎるために

日頃から死を意識することって少ない思うんですね。

しかし僕は

数々の医療現場で勤務してきた経験を通して

別れとは身近な存在

そしていつ別れが来るのかは誰もわからない

と力強く言えます。

そう思うと

別れの一つである「死」であって

実は身近な存在なのではないかと感じているのです。

ニュースや新聞、世界を見れば

その日のうちに誰か一人はこの世を去っています。

今この瞬間だって死と向き合っている人だっているはずです。

死とは悪いことなのか?

この小説に多く取り上げられていたのは

死との向き合い方でした。

僕たちがよくみるニュースやマスコミでは

「死」ってまるで悲しく

怖いことのように取り上げられています。

確かに死を悲しむことは自然なこと。

しかし小説内では死神が現れて、こう言います。

死は人生の終末ではない。生涯の完成である。

出典:夢をかなえるゾウ4|水野敬也

この死は生涯の完成であるという表記が

とても印象深かったんですよね。

それから僕は

死はその人の存在を美しくしてくれるもの

そんなイメージを持つようになりました。

だから「死」という存在は

ニュースやマスコミで取り上げられるような

悲しくて怖いものじゃない。

どこかしら尊いものなのではないかと感じました。

死と感情と向き合うには?


また小説には

身近な死に向き合った時の心情

も鮮明に描かれていました。

誰もが死を迎える存在

なのにどうして人は悲しいと思うのか。

それは

奪われてしまうと思ってしまうから

そうガネーシャは言います。

いよいよ死という事実に直面した時

なぜ人は悲しむのか、後悔するのか。

それは

その人の生きるはずだった未来が奪われてしまった

身近な人と生きるはずだった未来を奪われてしまった

そのように感じてしまう。

だから悲しいのだと言っているのです。

この言葉はすごく印象深かったです。

これが真実なのであれば

僕たちは死そのものが悲しい、怖いものではなく

奪われてしまうことにあると思うのです。

では、奪われてしまうと感じてしまうのは

いったいどんな状況なのか。

僕は

やるべきだったことをやらずに終わりを迎えること

だと思います。

身近な人へ感謝すること。

本当にやりたかったことをやること。

助けられていることにありがたみを感じること。

こうした

「いま、ここ」でやるべきことを

いつまでも先延ばしにしたまま終わりを迎えること

それが「死」を悲しませる、後悔させる正体だと思いました。

でもだからこそ言えるのは

大事なのは「いま、ここ」を生きること。

未来でもなく、過去でもなく

今やるべきことに集中して「いま、ここ」を生きること。

これこそが死を受け入れることができる

唯一の方法であると思いました。

アドラー心理学の著書「嫌われる勇気」にも述べられているのですが

人生における最大の嘘とは、今を生きないことである。

出典:「嫌われる勇気」自己啓発の源流 アドラーの教え|岸見一郎
  • 別に明日があるから
  • まだやるのは時期尚早
  • また今度やればいい

このように

やるべき行動を後回しにする行為は

「いま、ここ」を生きない典型例であると思います。

そうしていくうちに自分が、自分の身近な人が

突然死に近い状況になってしまったとすると

きっと後悔の念に苛まれる

そう想像できると思います。

自分の本心と真正面に会話してみる。

そして本当にやりたいことは何かを聞いて

今すぐ行動してみる。

仮に急に終わってしまっても後悔しないくらい行動する。

僕はこれが「いま、ここ」を一生懸命に生きるということ。

そう感じています。

まとめ

これは持論ですが

死や別れはあまりにも身近な存在だから

普段から意識することは少ない。

しかし本当は

死はいつだって身近な存在であり

もしかしたら明日にはもう訪れているかもしれない。

それは自分だけではなくて、周りにいる人だってそう。

両親、兄弟、友人、近所の人、テレビに映る人

誰だっていつも通りの明日が来るとは限りません。

でもだからって

未来を悲観することはないと思ってます。

なぜなら未来なんて言葉があるだけで存在はしていません。

未来をいくら想像しても、たった今見えるのは

「いま、ここ」を生きている自分と周りの人たちだけ。

あるのは「いま、ここ」だけ

結局、今を一生懸命生きることしか

僕たちにはできないからです。

今を精一杯生きることができれば

明日急に終わりを迎えてもきっと受け入れられるはず。

だから周りがどんな状況だろうと変わらない。

やることは実にシンプルです。

ただ「いま、ここ」を一生懸命に生きるだけ。

それをガネーシャは伝えてくれたように感じます。

kazu

ガネーシャ様ありがとうございました。

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