理不尽を目の当たりにして思う…

今回は

最近あった心境をお伝えしようと思います。

とはいうものの

最近僕にとって

とてもつらい出来事がありました。

詳細に話すことは控えますが

端的に言うと

信頼している多くの人から裏切りにあいました。

その多くの人たちに囲まれて目の前で

自分のやってきたことを大きく批判されました。

お互いに信頼していると思っていた仲だったので

その人たちから批判されたときは本当に心が傷つきました。

正直言って

この出来事にぶち当たったときは

本当に心が傷つき、腹が立っていたので

今後どうやって復讐してやろうかと思っていました。

でも今の僕の心境は違います。

この出来事を通して

今一度生きるということを考えていました。

その心境をお話ししていきますね。

目次

お互いを思う…

最初に結末をお伝えしておきます。

その当時は本当に心が傷ついていたので

「すごい理不尽な目に遭った」

と思っていたのですが

冷静になってみると

自分にも決して非がないわけではないとわかり

お互いの行動を認め合うという形で決着しました。

でもその出来事が起こったときは

僕がすごく傷つき、怒っており

「自分が正しい!やってきたことに間違いなんてない!」

と自分の考えに執着していたことも事実です。

しかし

人の正義は人の数だけあるのも事実。

僕を批判した相手も

完全に悪意を持って傷つけたわけでなく

自分なりの正義を持って行動したはず。

もしかしたら

僕のやってきた行動が

無意識にその相手を傷つけてしまっていた

そんな可能性もあります。

相手の立場に立ってみれば同じように

「自分が正しい!」

と思って僕を批判したと思うんです。

つまり

お互いに非があって、お互いに正しい。

それにその人たちと話しているときに

僕はその人たちの目をじっと見ていたのですが

怒っているというよりも

どこかしら怯えているような目をしていたんですよね。

だからこそ

自分の感情に身を任せて

相手だけ非を認めさせてやろうって思うのは

ちょっと違うなって思って。

僕は自分の正義を押し付け合うのではなく

一度冷静になってお互いの思いを汲み取り

そしてお互いの非を、行動を、存在を

認め合おうと思いました。

怒りに任せて感情的に行動するのも

冷静に対処するのも自分次第。

この出来事を二度と思い出したくもない経験にするのも

教訓にして今後の自分の糧にするのも自分次第。

そして今の環境を選んだのも

その人から批判されるようなことをやってきたのも自分自身。

だからこそ

相手のここが悪いとか

相手の何が悪かったのかは

そんなものはどうでもよくて

全ての出来事には何かしらの自分の責任がある。

僕はそう思いました。

そして今度は怒りを伝染させてはいけない。

ここで僕が相手に復讐してしまったら

お互いの未来に怒りを伝染させてしまう。

そして今僕の周りにいる人たちに

自分の怒りを伝えてしまう。

そんな未来にはしたくない。

負の感情は今ここで留めておくべき。

だからこそ僕はこの出来事を通して

お互いにとって

僕の周りにいる人にとって良い経験にしよう

そう思いました。

運命の下り坂を思う…

僕は過去に何度も絶望を味わい

時には生きる意味を忘れかけたり

人と衝突して何度も傷つく経験をしてきました。

だからこそ言えるのは

生きて行動する限り

人との衝突は避けられない

人から傷つけられることを避けられない

今後自分が

どんなに正しいと思う行動をしても

どんなに正しいと思う発言をしても

それを気に入らないと思う人は必ずいます。

そして自分の行動を他人がどう思うかは

自分にはどうすることもできないこと。

しかし

自分の解釈だけは変えられます。

仮にその人と衝突するようなことがあったときに

その経験を通して自分が

どのように判断して

どのように振る舞うのか

つまり

身の回りに起こった経験をどのように解釈するのか

これは自分に選択できることだと感じました。

僕は

Think clearly」

という本を読んでいました。

この本で印象的だったのは

運命の輪に乗って成功を手に入れたければいつかはまた運命が下り坂になるのを受け入れなくてはならない

運命が幸運を与えてくれている間はそれは脆く儚く永遠に続くものではないと常に覚えておくこと

それでもあなたの人生にはよいことの方が多くよいことにも負の要素はつきものだったことを忘れないこと

出典:Think clearly|ロルフ・ドベリ

という言葉でした。

つまり

生きている限り嬉しい状況もあれば

つらい状況にも当たる。

よい状況はいつまでも続かないのが現実。

だからこそ

つらい状況はいつか必ず来ると割り切り

それを受け入れる日頃からの心構えが大事

だと考えました。

上り坂を知るには下り坂を知る必要があります。

幸せな時期を肌で感じるには

運命のように

どうしても訪れるつらい時期を経験しないとわかりません。

僕は今まで本当に良いことばかりでした。

当たり前の日常が幸福に感じられ

僕を慕ってくれる仲間にも出会い

そして僕に不運があったときは

それを心配してくれる人にも出会うことができました。

上り坂のような日々を渡ってきたのですから

いま下り坂にようによくないことが起こっても

なんら不思議ではない。

むしろそれが運命であるように思うのです。

不幸と幸運を思う…

だからこの先

また心身の調子を崩すことがあっても

信頼していた人から大きく非難されることがあっても

ある日突然訴えられて財産を失うようなことがあっても

僕はそれを受け入れられると思うんです。

というか

この先どんなに不運なことがあっても

自分の人生という視点でみれば

大したことではないように思います。

僕は母、祖母、曽祖母が命懸けで出産した事実をくぐり抜けて

この世の中に生まれることができました。

母子共に亡くなっていたかもしれない確率を

何度も何度も何度も乗り越えて

そしてこの世を生きるという

壮絶かつものすごく低い確率を乗り越えて

今を生きているのです。

それに比べれば

自分の不運な出来事なんて

本当は大したことではないかもしれない。

今回の出来事で特にわかったのは

自分を快く思わない人はどうしても存在すること。

生きている限り人との衝突は避けられないこと。

自分の幸運な時期をちゃんと自覚して

周りの人々に助けられて生きていることに感謝すること。

そしてその周りの人に不幸な時期が起きたら

今度は自分が助けること。

そうやって

この難しい世の中を生きていくんだなって思いました。

それでもこの先

僕のしたことが周りにとって

気に入らないものであっても構わない。

僕自身がそれを気に入っていればそれで十分。

僕はそれでも前へ進みます。

運命へ

そしていま僕の周りにいる人々へ

ありがとうございました。

kazu

また頑張っていきます。

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