終わり・別れが「いま、ここ」を輝かせる

僕は

「幸せをお金で買う」5つの授業

という本を読んでいました。

ちょっと胡散臭いタイトルかもしれませんね…笑

でもそこにはこんな言葉があったんです。

“何かが永久に続かないことを知ると

私たちはそれをよりいっそう大切に思うものなのです”

“大学生活がいよいよ終わりに近づくと

大学4年生は残された時間を味わい尽くそうと

景色のいい道を通って通学したり、写真を撮ったり

大好きな場所や級友を訪ねたりし始めます”

“終わりが近いと認めることが幸せへの鍵になり

簡単に手に入る満足感をもご褒美に変えてくれるのです”

つまり

終わりへの意識が

「いま、ここ」の幸せを生む。

僕はこの言葉に

非常に共感するものがありました。

「終わり・別れ」という言葉。

寂しく、悲しいイメージを持っている人も

きっと多いと思います。

ですが

その「終わり・別れ」が

大事なことを教えてくれることもあります。

今回は

「終わり・別れ」に対する僕自身の思い

についてお話していきます。

目次

有限性を思うこと…

今の僕は

とても心豊かな生活を送っています。

部屋のモノの数は少ないですが

自分の心からお気に入りのモノに

囲まれていますし

本業では、作業療法士として人に直接貢献できる

副業では、心からやりがいを感じる仕事ができる

自分を頼ってくれる人もいる

帰って来れる家がある

両親も兄弟もいる

そして

「天気が晴れで心地良い…」

「公園の緑が綺麗…」

といった些細なことでも幸せに感じます。

でも物質的な幸せは

他の人と比べたら少ないかもしれませんね。

他の仕事と比べて

年収は少ないかもしれない。

所持しているモノもとても少ない。

それでも

全く自分を偽っていることもなく

本当に「いま、ここ」が幸せなのです。

なぜかと言われたら、その一つがこれ。

この幸せはきっと終わりがあること。

これを特に意識しているからです。

自分も世の中も激動に変化していく中

僕はいつだって物事の有限性を考えています。

例えば

  • 周りの人と持てる関係
  • いま持っているモノ
  • 綺麗だと思える景色
  • 親と話ができること
  • 友達と一緒に飲めること
  • 家族と過ごせること
  • 健康でいられる時間
  • 食事が美味しい感覚
  • 生きていること

これらは全て

タイムリミットがあると思っています。

そうですよね。

今文字を打っているパソコンだって

いつ壊れるかわからない。

人の関わりは特にそうで

自分が心からの友人だと思っている人も

僕の決して悪気のない発言で

気持ちが離れていってしまうかもしれないし

相手側の都合で

突然遠くにいってしまうこともある。

健康なんていつ崩れるかわからない。

過去にメンタル疾患になった身から、特にそう思います。

あらゆる物事の終わり

いつだって目の前に訪れるかもしれない。

これは身近なことでも

特に言えることではないでしょうか?

例えば子育て。

僕はまだ家庭を持っていないけど

ご家庭を持っている主婦の方が執筆した本も

とても面白くて勉強になるのでよく読んでいます。

そこにはこうありました。

“子育ては大変なことが本当にいっぱい。

そんな大変な子育てでも

その子との思い出はあっという間。

  • 抱っこできるのはあと何年?
  • 一緒の布団で寝られるのもあと何年?
  • 自分の作った料理を食べてくれるのもあと何年?
  • 弁当を作っていられるのもあと何年?
  • 同じ家にいられるのはあと何年?
  • 毎日「いってらっしゃい」と言えるのはあと何年?

そう思うと

その子との時間は一期一会かもしれない。

なので、たとえ自分の子供が

どんなに憎たらしいことをしても

いつまでも可愛いと思えるんですね”

別れを思うこと…

以前僕のもとに

「どうやったら人に優しくなれるのですか…?」

という質問が来ました。

僕は

いつだって別れを意識すること

だと思っています。

僕は特に感じているのですが

人との別れは本当にわからない。

次第に離れていく別れ方もあれば

ある日突然に

別れが訪れてしまうことだってある。

ちょっとショッキングなことをお話しますが…

医療現場での出来事です。

とある夫婦の出来事。

夫が仕事から帰ってきた後

いつも通り料理を作って夫を待っていた妻が

急にくも膜下出血を発症して救急搬送。

妻は意識が戻らなくなりました。

そして突然の余命宣告。

コロナで院内は面会謝絶となっており

妻と面会もできない状況に泣きじゃくる夫。

夫はそのまま妻との死別となりました。

そしてもう一つ。

ある高校の部活帰りの青年。

いつも通り部活から帰宅しているところ

突然の交通事故。

脳に重篤な障害が残り、脳死となりました。

二度と目を覚さなくなった青年の枕元には

あるカセットテープがありました。

「頑張れよ!…頑張れよ!…

みんな家で待ってるからな!…」

「帰ったら…帰ったら…

大好きなカレーを一緒に食べような!…」

その青年のご家族様の声らしき音声が

涙声で吹き込まれていて

静かな病室にずっと流れていました。

いつも通りの日常に

突然訪れるあまりにも悲劇的な別れ。

そこで特に感じたのは

時には残酷すぎるくらい

それくらい別れって身近であることだと思いました。

そして

それは自分だって例外ではない。

自分だって明日が絶対に健康な身であるとはいえない。

また、それが自分でなくとも

自分の大事な家族が

自分の大事な友人が

急に同じような状況になってしまって

ある日突然に

自分のもとを離れてしまうかもしれない。

誰だっていつも通りの明日が来るとは限らない。

そんな可能性だってあるはずです。

「終わり」が教えること…

悲しい思いにさせてしまったなら申し訳ありません。

でも僕が1番伝えたいのは

終わり・別れの悲しさではありません。

残念ながら、今身近にいる人とも

いつかはわからないけど

そのいつか、必ず別れが訪れます。

でも

「終わり・別れ」は

悲しいことばかりを教えてくれるのではない。

その人との関わりに

「終わり・別れ」があるからこそ

「いま、ここ」を大事にできる

僕はそう思うのです。

諸行無常・盛者必衰

そんな言葉にもある通り

誰だって限りある命。

どんなに確率は低かろうと

いつだって突然の別れが訪れる可能性がある。

そして常識も目まぐるしく変わっていく世の中。

どんなに価値観が似通った人とでも

次第にすれ違っていく可能性だってある。

そんなお互いが、当たり前のように

「いま、ここ」を生きていること。

身近にいてくれること。

それはとても有難いこと。

ありがたいこと。

そう思うと、自分の身近な人に対して

真摯に関わろうと思えるのではないでしょうか?

まとめ

こうして

終わり・別れを身近に意識することで

「いま、ここ」が輝くと思うのです。

人生はまだまだ長い…?

僕はそうは思わない。

いや、そんなことを思う暇はないはず。

健康でいられるのは

小さい頃から美味しい食事を作ってくれた

両親のおかげ。

孤独で寂しい思いにならないのは

いつまでも兄弟が元気でいてくれるおかげ。

自分が“自分らしい”と思えるのは

その“自分らしさ”を認めてくれる友達のおかげ。

仕事が楽しいと思えるのは

その仕事を提供してくれる職場のおかげ

自分の相談に乗ってくれる

先輩のおかげ、同僚のおかげ

自分を頼ってくれる後輩のおかげ

自分の仕事を買ってくれるお客様のおかげ

僕たちの周りにはたくさんの

「おかげさま」

に支えられています。

そんな「おかげさま」も

いつまでも自分の身近にいてくれるとは限らない。

時には自分がつらくて

生きることを諦めてしまいそうになる時も

そんな人たちに恩を返したか?

感謝を返したのか?

「自分は何も返せていない…」

そう思った時

なら行動するだけだ。

僕はそう思っています。

今の自分の周りにいてくれる人々

全てが決して当たり前の存在ではありません。

そんな人たちに囲まれて自分は生きている。

自分は支えられて生きている。

そう思えば

その人の存在だけで感謝できる。

今自分が生きているだけで幸せに思える。

そしてその感謝の積み重ねで

自分の「いま、ここ」を

幸せに豊かにすることができると

信じています。

だから人生は波瀾万丈でなくてもいい。

何もない、いつも通りが十分に幸せ。

いつも僕と関わってくださる方々

本当にありがとうございます。

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